社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

愛があれば何でも許される そんな事はありません 残念でした

小生が腹を立てる筋合いは 全 く 無いが、腹の立つ話。

Fujifabric International Fan Site: 志村正彦君のファンの皆様へ

厭な言い方すると墓荒らしだよなぁ、てな話してたんですが。

個人的にはファンだからってお墓参りするのは違うと思っている。
ファンだからってその人の自宅や実家には行かないでしょう?
そんな距離無しさんは寧ろダメだろう。
歌があるんだから、折に触れ歌を聴いて、歌って、弾いて、
やっぱりいいなぁ、って思うだけで十分なんじゃないかなぁ。
(そもそもはそういう関係性でしょう。)
折々にフジの現在・歴代のメンバーさんや片寄さんやクボンゲ氏等
家族ではないけれど近しい方々が手を合わせづらくならないのか、
とも思う。
しかし悲しみや気持ちの持って行き所がないのも事実だから
ご家族の方が温かく受け入れて下さってるんだろうと思う。
(このブログ主さんのご意見には概ね同意です。)
ならばお参りするファンもその気持ちを汲んだ上で
志村家にもお寺にも失礼のないようにお参りすべきなんだと思う。
このブログに書かれている所の”お勤め”をする事で
ご家族も気持ちの整理をされているのかもしれない。

それをいくら好きだからってファン(?)が奪ってはいけないだろ。

現地を知らないので何とも言えませんが、
もしお花や手紙やお供えがいっぱい溢れて大変な事になっているのであれば
勝手にルールを作るのではなく、お寺さんに相談すべきなんじゃ。
相談、というか世間話的に伝えてみるとか。
自主的に動くべきだと思うなら、実力行使に出る前にTwitterやブログやSNS
「こうしたらどうでしょう?」って呼びかけるとか。
人のもの勝手に持ち帰ったらあかんし。泥棒やん。
他人に持ち去られてしまったら、その人が可哀想、という想像力も
無いのだろうか。
もしかしたら今はご厚意で許して頂いている全てが禁止になってしまう、
とは考えないのだろうか。
人の事考えられる位なら、最初からこんな事にはなってないのか。
お身内さんみたいに片づけて管理している私、に酔ってるん違うか。
もうそんなんはファンでもなんでもない。
気づかせてあげられる人が周囲にいなかったのが残念、という優しい方も
いらっしゃいましたが、周囲も同類だったんじゃない?と思ってしまった。
だいたい自分がそんな事されたら厭でしょうよ。
恋は盲目で許されるレベルじゃないよ、これ。

本日のタイトルは矢野顕子の「愛があれば?」より。
昨日この話をついったでしてて、この箇所を思い出した次第。