社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

複雑なんです

朝おふとんの国で変な夢見てたらピンポンが鳴った。
多分鳴らんかったら昼までぐったりしてたな・・・。
寝起きで人間になる途中だったので恥ずかしかったけど(笑)。
届いたのはお菓子のセット。
このタイミングでバウムクーヘン*1が届くとはびつくりである。
そういう訳でもないが、本日はこういうタイトルで。


中学の友人が亡くなった時、法事にまで参列させて頂いていた。
一周忌くらいまでだったか。
記憶怪しいけど、い、いいんやろか・・・と思う位。
お経を上げに来はるお坊さんがいい人で
(どうでもいいがじさまン時とえーらい違い。あれ悲しかったわ。)
最後の説話が堅ッ苦しい話ではなく穏やかに「聞きたい事ありますか?」と
声を掛けておられた。
そう言われても何をお尋ねしてよいのやら、という気持ちではあったのだが。
友人のお母さんが「今、うちの子は何処にいるのですか?」と尋ねておられた。
その答えを思い出しながらちょっと書く。
ちょっと違うだろうけど、だいたいこんな感じの話。

その人の事を想う時、想っている人の傍に居る。
だけど、あまりに想い過ぎて悲しんでいると
想っている人の事が心配で天国(あの世だっけな?)に行けない。

ということは、
友人の事を想う時、友人が傍にいて、
マイケル・ジャクソンの事を想う時、マイケル・ジャクソンが傍にいて、
清志郎さんの事を想う時、清志郎さんが傍にいて、
アベの事を想う時、アベが傍にいて、
志村の事を想う時、志村が傍にいて、
ジョー・ストラマーの事を想う時、ジョー・ストラマーが傍にいる、
という事ですかね。
それはちょっといいかも。
んなあほな。
特にマイケル大変やん。世界中の人が沢山想っているだろうから。
天国行っても大忙し。
ただ、「だけど〜」以降はそういうもんなのかもしれない。
行けない、というか想いが強すぎてこちらに引っ張ってしまうのだろうね。


といって別に悲しむなという訳ではなくて。
悲しんで惜しんで沢山泣いて一旦”落とし前”付けて、
それから忘れないで思い出して。
音楽や思い出はまだこちらの手元にあるのだから。
いつか、そうなればよいと思う。


とか言うてるワシが既にずるずるやってんだけども。
”落とし前”つけた筈で、ずるずると。
自分に言い聞かせてるよーなもんかもしれん。

*1:フジファブリック「CHRONICLE」の1曲目が「バウムクーヘン」なんです