社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

kocoronoのブックレット

山内ギターが出るのは分かっていたが、本も出るのかー!
何でまたパーマなん。
本の内容が楽しみな以上に何故パーマなのか気になる。

「砂の塔」買ったのにまだ聴いてない。
ずっと「kocorono」の最終盤を聴いてる。
これの感想は後日。うまくまとまんない。

最終盤には冊子がついてまして。
何でコレダケ単独で発売されなかったんだろう、という濃密さ。
アルバム聴かないとよく分からないからか。
kocorono」に携わった方々のインタビュー、論じた文章など。
下手な小説よりも引き込まれる。(なんでやねん。)
お一人お一人の見え方、聴こえ方があったのだな。
物凄く細かい所まで作りこまれているのが、分かる。
分かる、って簡単に言ってしまってはいけないのか。
音楽の方もだけど、すごーーーく語りたい事があるのだけど
簡単に語ってしまってはいけないような気がして躊躇してしまう。
しちゃうけど敢えて言うと、「kocorono」はこの時代だったからこそ
作り上げる事が出来たアルバムなのではないだろうか、と思った。
知らんで。
知らんけど、今だったらこんなにスタジオで音の一つ一つにこだわり抜いて
作れないだろうな、と。
物理的にスタジオ減ってきてるし、時間もお金も掛けられないのでは。
その代わり自宅で録音する環境が整えられる時代だけど。
kocorono」も吉村さんちで録音したりされてるのか。
時間・手間を掛けられる所、制約の掛かり方が今とは違う。
その中で作りこまれたからこそ、生まれた作品なんだろう。
2016年の音楽環境で手間隙掛けて作っても、この音にはならない。
どの音楽作品だって、そんな風に作られるべきだし実際作られてるとは
思うのだが、ここまでじゃないだろう。
それがまた愛おしいというと語弊あるかもだけど、それがいいんだ。
時代が許した作品だ、と自分は思っている。

あー、書いてて訳が分からなくなってきた。
ぐわーって書きたいのだけど、怖いのですよ。
ブッチャーズの方々も参加された方々も物凄い情熱を注いでおられるし
聴くファンも物凄い情熱・思い入れをお持ちであろう。
だから生半可な事は書けない。。。
(しかもこのエントリの枕は全然関係ない、しかも「何でまたパーマなん」
 だし。)

けど、聴く人はそこまで気にしないで聴いたらいいよ。
気楽に好きなアーティストが影響受けたアーティストが・・・って
どんなんだろ?って、聴いてみたらいい。
何回か聴いたら、解る。

奥付見たら、本文写真の所に境めぐみさんのお名前があった。
コーパスのドラムの方やんね。
kocorono」ってコーパスと深い縁があるのだな、としみじみ。

あとZEROさんのお話にあった帯はこれ。