絶対音感
カラオケ、基本的に原曲のキー以外では歌えない。
歌えない高さの曲を無理矢理歌ってたら「キー変えようか?」と言われるが
キーを変えられた方が歌えない。
原曲のキー以外で歌えるのは、カバーされた方を知っている場合である。
こういうのは絶対音感があるというのか、無いというのか。
「絶対音感」(最相葉月/新潮文庫)読んだ。
絶対音感を持つ人のエピソードがメインなのかと思っていたが
それだけじゃなく日本の音楽教育、音感とは何か、といった
”音感”を巡る沢山の情報・問題が書かれている。
絶対音感って有難いモノみたいな扱いされてたんだなぁ。
あったら便利かもしれないが、普段音楽を聴く上で必須ではないし
身の回りの音全てがドレミで聴こえるってのも面倒くさいよなー、
と思っていた。
音符・鍵盤にぴたっと当てはまる音ばかりじゃない。
ミとファの中間みたいな音は沢山ある。
小学生の頃に考えるだけ面倒くさいよな・・・と考えるのをやめたが。
そこで頑張ってたら、絶対音感的な感覚を持てていたのだろうか。
ドレミどころか歌詞があっても言葉ではなくドレミで聴こえる、
というのは知らなかった。
歌詞・メロディの動きも音楽の大事な要素なのに。
しんどいだろうな・・・と思っていたが、上手く受ける側で調整が
出来るようである。
調整というか、チャンネルを変える事で対応されている。
なるほどなぁ。
小生が習っていたピアノの先生は型に当てはめるような弾き方を指導する方で
好きでもないピアノ演奏の真似をしなさい!リタルダンドもこれで!
という指導が合わなくなって益益つまらなくなって辞めたようなもんだが
まだマシだったんだな・・・。
五嶋家の話は別口で読みたい。
あと、”音楽を科学する”というのは実は難しい事のようである。
音響という物理現象が情動という心理現象へ移る接点が、コンピュータでは対処できない(P.311)
のだそうだ。
レヴィ=ストロースも
音楽は人類究極の謎であり、音楽の謎が解き明かされれば人類進化の謎の多くも解かれる(P.327)
と仰っている。
この本では主にクラシックの話がメインとなっているけれど
ロック・ポップス界隈だと更に事情が変わってくるんだろうなぁ。
音を歪ませる事で音の高さ・ヘルツにも影響があるだろうし
スケールだって長調・短調だけじゃない、リディアン・モード、
エオリアン・モードといったスケールがある。
そういう目線からクラシックを観ていく事も出来るのだろうけど。
しかし大人になってから絶対音感的なモノを身につけられないものだろうか。
半音ずれてるんである。
「労働CALLING」もBと思ってるけど多分B♭なんだろうなー、と思ってたら
Aだったという・・・。
以前、フジの曲で長調・短調どちらが多いか?と考えてみた時も
答え合わせに他の方がコピりはったコード譜見たら大半のキーが半分ずれてた。
ずれる方向はいつも上。半音上で認識してしまう。
「どうせ半音ずれてるだろ」とアタリをつけられるようにはなった。
耳コピの経験重ねてカバーしていくしかないんだろうか。
流石にそこら辺の解決のヒントは載ってなかったなぁ・・・。