社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

連休中に積んでた雑誌読んで考えたこと

連休中に積んでた雑誌読んで考えたこと。

音人のやなけんさんレビューページのコラムの「どいつもこいつも
クソばっかりだと内心罵るうちに自分もクソの一要素になっている
ことに気づいた」の下り読んだ時にも
MUSICAの鹿っぺ・有泉さんの対談の「フェスでの音楽体験を単なる
思い出に終わらせないために」読んだ時にもモヤモヤした。

マナーとルールに縛られたフェス(というかロッキング・オン主宰の
フェスのことでしょ?)がそうなったのは何故なんだろう。
BBSにダイバーがぶつかって頚椎傷めた人の書き込みがあってから
厳しくなった気がする。実際のところどうなんだろう?
規模が大きくなって、もし大きな事故があったら次回以降
開催出来なくなる可能性もある訳で。
続けていく為に、厳しくせざるを得ない。
サイリウムは認めてやってくれよ、とは正直思うのだけど。)
それはフジロックだってライジングだってRUSH BALLだってOTODAMAだって
サタニックだってローリングサンダーレビューだって同じだと思うのだ。
続ける事は出来るのかもしれない、だけどずーっと事故の記憶が
残っていく。
それでも楽しめるのだろうか。
自分がダイブして負傷した、も辛いだろうけど
貰い事故はもっと辛いだろうな。
それでも治ったら行くぜ!と言える人ばっかりじゃない。

まー曲調関係なくわちゃわちゃ出来たらいい、飛んでナンボみたいな
人達には関係ないんだろう。
今年のカミコベで思ったわ。
カミコベは花火大会の歩道橋事故があったせいもあって警備計画を
しっかり立てるのだそうだ。
(松原さんコラムで触れられていた)
だけど関係なくわーって。
客だけじゃなくて出演者もそういうトコあるでしょう。
柵が壊れて一時中止したバンドのツイ見て悲しくなった記憶が。
ルールが厳しくなるのは主催の都合だけじゃないと思うのよ。
気にしすぎて控えるのも違うとは思うのだけど
演者も客も考えなきゃいけないんじゃないのかな、
何故そんなにうるさくなってきたのか。

んで今やファッション雑誌の夏コーデに欠かせなくなってる訳だが
そういうのって音楽関係者から見たらどうなんだろう?
ファッション関係からは花冠や羽冠つけるという”提案”が
あるわけだけど
現地でわーっと楽しむ時にはちょっと邪魔だよなぁ。
前に羽根つけた人がいたら前見えへんやん、というチビの愚痴も
あるのは否定しない。
音楽フェスが”ハレ”の場として普及しているけれど
実際のところ”ハレ”の場としておめかしして友達とワイワイ
楽しんでる人に、どれだけ個々の音楽が届いているのだろう、と思う。
何気なく聞いて気になったアーティストの曲があるから
検索してみよう、ネットで聴いてみよう、
気に入ったから買ってみよう、ライブ観てみようってどこまで繋がるのか。
そういう”習慣”があるのは元々音楽に親しんでる人なんだろうな。
聴き放題がどうのフェスの波及効果がどうのこうのという話は
よくされているけれど、
偏見かもだけど、”フェスでがっつり音楽楽しむぞ”という層と
”ファッション、夏の恒例行事として行くぞ”という層は
端っから分断されてる気がする。
”目一杯オシャレするけど音楽も楽しむよ”って人だって
沢山いらっしゃるだろうとは承知の上で、敢えて書く。
最初から音楽目当てじゃなくて思い出作りに来てる人も
少なくないんじゃないかしら。
この分断についてはネットや雑誌から見てるだけの人間と
現地でレポったり運営したりする人間とで見え方が違うのか。
フェスの功罪がどうの、フェスのルールがどうのって話は出てくるけど
そういう話って、あんまり出ないのは気のせい?