社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

想像ラジオ

一部呟いておりますが今日は色々ありまして心斎橋で腐ってました。
そしてボリュームペダル(正確にはエクスプレッションペダル)を
購入。
昨日要るよなーと思ったので、衝動買いではありません。
Webで買う方が圧倒的に安いけどね。
Rolandのボリュームペダルのシールド差すんじゃなくて
線がわーって出てるやつまだありますか?」の一言で
「これですか?」とEV-5出してくだすった。
問い合わせはギターのフロアだったが現物は鍵盤フロアレジで
やっぱり鍵盤フロアだったかー。
聞いてみたかったけど接客で塞がってて聞けなかったのだった。
後でまた鍵盤フロアうろうろしてたら店員さんから声掛けて
くだすった。
別件で話した時も店員さんに「さっき買い物して下さったんですね」と。
よう見てはるなぁ。。。

「想像ラジオ」(いとうせいこう河出文庫)読んだ。
内容の核心に触れるかもです。





おとぎ話のようだ、と思った。
東日本大震災という大きな悲しみを、死者も生者も受け止めて
折り合いをつけていく為の装置、物語。
死者からのメッセージを届けていく物語なのかと思ったけれど
それだけじゃなくて、生者からの思いも伝わっていくのだな。
物語を離れて、現実でもお互いの思い、メッセージが
こんな風に伝わればいいのに、と思う。
(そんなに綺麗な話ばかりではない、寧ろ知ると悲しくなる話も
 少なくないかもしれないが・・・)
DJアークの元にくる家族が少しずつ減っていくのも
お父さんが弱弱しくなっていくのも、
時間の経過を感じさせる。
物語の中でどのくらい時間が流れているのだろう・・・
それも読み手次第、なのだろうか。
しかしDJアークが放送を止めて飛び立とうとする瞬間も
まだまだ沢山のリスナーがいるし恐らくは無数のDJもいるだろう、
彼ら、彼女らは今どうしているのだろう。
同じように飛び立っていけているのだろうか、
まだどこかにいるのだろうか。
そう考えると悲しくなる。