社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

あれから17年。

阪神・淡路大震災から17年。
手帳切り替える時に書いた記憶が無くてだめだな俺、と思ったが
昨日手帳見たらちゃんと書いていた。
朝の5:46は何もないと分かっていても身構えてしまう。
一日怖い年もあれば、恐怖が無い代わりにしみじみ考える年もある。

ラジオに「満月の夕」をリクエストする。
いつも明るいDJさんも今日はいつもとは違う。
話を伺っていて、大学入試を受けに向かう時の事を思い出した。
家は無事、精々壁にひびが入ったのガラス障子割れただの程度だったが
電車が悉くアウトだったので、父の友達の家に泊めて貰い
本命大学だけ受ける事にした。
礼拝堂の軒先貸してくれたらいいのにー、とか言ってたんだけど。
その途中にバスや電車を乗り継いで通ったのが激甚地。
酷かった所を繋ぐようなルートだった。
2階が1階になってたり、一角だけ焼け焦げていたり、駅が無くなってたり。
今日思い出して言葉に出来ない気持ちでいっぱいになっている。
通りすがりの自分ですらそんな状態、住んでおられた方はどんなお気持ちだろうか。
「忘れない」という話が出るけど、寧ろ忘れたいかもしれない、
でも忘れる事が出来る訳が無い。

もうあんな光景見たくない、と思っていたが昨年の東日本大震災
確かに違うけれど街が無くなって瓦礫だけが残っている光景を見る事となった。
瓦礫すら残ってなかったか。
もうええわ、という所に和歌山・奈良の水害も。
なんでやねん。
あとどれだけ、見なければならないのか。出来れば二度とごめんだ。

被災された方が忘れられる訳が無いのだ、被災地に手を差し伸べる側が
忘れない事、「忘れないよ」という意思表示をする事が必要なのだと思った。
NHK広報の方が「14:46」という時刻をツイートされた時に
「何の時刻ですか?」と返ってくる事があるのだそうだ。
5:46という時刻も、もう忘れられているのかもしれない。
日付は流石に忘れられてないか。
(と思っても「何その変な日付?」って言われたからなぁ・・・)
だからって、震災忘れたらあかんでーって自然災害が起こるのは無しにして
頂きたい、神様。