社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

トイレの次は好きな歌達らしい

色んな物への情熱を失いつつあります。
何も無いのですが、生きてるのが面倒くさいレベル。
とか言いつつ朝からめざましライブの映像流して踊ってるので
まだまだ大丈夫だと思います。

ラジオから、なんかトイレの人みたいなん流れてきたなー、と思ったら
トイレの人の新曲だった。
「マイ・フェイバリット・シングス」聴いて救われてうんたらかんたら
いつか私の歌がそんなふうになればいいのに・・・
そんな歌。
1曲でドーンと行った人は大変ね、前作と同じ系統の歌作らなあかんもん。
そんな歌でした。

アウトプットの無い人間が言っちゃいかんと思うのだが
そのままだなー、と。
情景描写が細かい、というのともちょっと違っていて、
作り手が作ろうとしたものがそのまま歌詞になってるという。
ほんのちょっとでも聴く人の想像に委ねる部分があってもいいのに。
そんな頭を使う歌は流行らないのだろうか。
ラブソングのようでもあり、ちょっと違うようでもある、
聴く人によって違って聴こえる、
そんな歌の方が”そんなふうになれ”ると思った。

つかよぉ、発売直後まで頻繁に流れんじゃね?
そんなに頻繁に聴きたい歌ではないぞ。
まーご飯時に流れても安心!ですわな。
個人的にはジャズ版の「My Favorite Things」が好きで
トリオ編成で弾けたらいいなぁ・・・と夢見て(妄想して)いて
その夢が汚されたような気分になってしまった。