社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

あれは一体何だったのだろう。

今だから言うけれど、趣味関連で知り合ったがごめんなさいして
現在疎遠になってる方の中には、いずれネットという公共の電波上で
揉めるだろうけど、それはネット故ではなくて生身で知り合ったとしても
揉めるだろうな・・・と思っていた方があった。
分かり合えないのは個々人の考え方だから仕方ないとしても
”違う”事が分からない、少なくとも分かったように行動出来ないんだと思った。
だからいずれ小生は罵ってしまうかもしれない、でも可能なら傷つけたくない、
そう思ってごめんなさいした。
ここんとこ、そういう人たちがネットというか特定ツール関連で色々仰ってるのが
皮肉なもんだなと思ったが呟けずにいた。
ツールの文句言うてはるけど、それって使う人の問題でもあるのだけど、ね。
(所詮ついっただろうとお友達限定日記だろうと丸見えだもの。
 システムでかけてる限定なんぞ信用しとらんわ。)
が、仰ってる中にそういう人ではない人が居る、その人の事まで一絡げにしたく
なかったから、今まで呟かなかった。
此処に書いたら意味ないけどさ。穴掘って叫ぶ裏庭が無いんだから仕方無い。
(尚、広島の話は関係ありません。)


さて本題。
結局、「アサイラム」のレビューは諦めました。
サイン入りポスターは密かに実家にあるし今の住処には貼れないし
ライブご招待、も行ける所は全部(といっても大阪と京都だ)チケット確保してる。
ミート&グリートだっけな、ライブ後にアーティストとお話できますよのやつが
あったらええな、とは思うけど多分ないだろうし
そもそも、そんなもん当たったら恐ろしい事になりますよ、今年のワタシ。


プレゼントはさておいても、「アルバム聴いてこんな風に感じました」って
本人に伝えられるチャンスだと思ったので書こうと思ったが、書けなかった。
「銀河」騒ぎで書けるほど聴き込めてない、というのもあるし
アサイラム」自体がそんな簡単なもんじゃないよなー、というのもある。
音として気持ちよくて聴いていて、まだ耳が歌詞まで届いていない感じ。
聴いて感じた事を言葉に出来ないのですよ。
「ヘッドフォン・チルドレン」の時をふと思い出した。
あの時は歌詞もへったくれもなく、ただただ聴いてた。
音がどうとかそんなもんも無く、何か読みながら聴くと聞き逃してしまうから
兎に角聴く事に集中していた。毎日毎日。
あれはあれで、レビューとか感想とか書けなかっただろうなぁ。。。
あれは一体何だったのだろう。
聴き方は少しずつ変わってきて、アルバム毎に歌詞に魅かれたり音に魅かれたり
ライブで全身で楽しんだりお布団の中で爆音に身を委ねたり色々ですが
あの日からずーっとTHE BACK HORNに取り憑かれっぱなしであります。
それだけは変わらないねぇ。
不思議なもんです。