社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

全てが行き着くところまで流れていったけれど

祖父が亡くなった。
10日の朝、おかみ・・・母がいつものように祖父の家に行くと
いつも居る座椅子に座って眠っていた。
着く30分ほど前に心筋梗塞を起こしていた。
救急車で運ばれたけれど、間に合わなかった。


正月に祖父のわんこ叱ってしまった事を後悔。
わんこが迷惑かけないか気にしていたので心臓に負担かけたかも・・・。
あと、うちから帰る度に「会うの最後かも」と見送っていたけれど
私が最後に会ったのは、正月3日の夜の「あーいおやすみぃー」で
きちんと顔見たのは晩御飯の時。悔しい。
でも、10年くらい飲んでいなかったお酒飲んで、
久しぶりにお正月らしいお正月迎えて、お節もつついて貰って
ちょっとはじいちゃん孝行できたかな。
それと、一応警察も来たんですが、所見は「あまり苦しまなかった」。
持病の動脈瘤爆弾破裂よりは、良かったかな。そう思いたい。


それでも嬉しい・悔しい以外の感情が欠落している孫、
じさまと最後に過ごす夜も座布団に毛布でそこそこ眠り、
じさまの兄弟(沢山いる)やその奥さん達にお茶を配り、
今まで疑いの眼差しで見ていた母の弟とそのヨメを叔父・叔母と
呼べるようになった。
(結局、叔母も頑なな心開いたら、ほんわかした細かい所まで
 気を配れる、いい人だった。申し訳ないと思う。)
じさまが透析を始める事になって、ばさまの認知症が発覚して、
うわあ最悪、と思っていたけれど、万一の時もわんこはうちで暮らせる、
叔父・叔母がじさま・おかん達と和解できて、じさまの兄弟達にも
少しずつ伝わって、おかんの頑張りで身ぎれいに暮らせて、
良くない事がきっかけだけど、行き着くところに落ち着いたんだと思う。
じいちゃん、ありがとう。


唯一の心残りは、ばさまであろう。
ぎりぎりに知らされたばさま、グループホームから帰ってくるなり
こちらで準備していた喪服に不満を示し「2階にある!」と探そうとする。
挙句が「おかみ子(仮名)が勝手に捨てた」と怒る始末。
なだめ・話役に義姉妹のおばちゃん達が居て下さってよかった。
が。
会場控え室でもごねるぼやく繰り返す。
幸いじさま兄弟義姉妹一同はある程度事情を知ってくれているが
辛かったよ。
お通夜の晩も「じさまが死んだら帰れる」と思ったばさまは
相当ごねたらしく。
(どうも、じさまと母の所為で厭な所に追い出されたと思っているらしい。)
今日は告別式だったけれど、朝から家に帰らしてもらわれへん、
おかみ子(仮名)が帰ってくるなって言う、とぼやき倒す。
で、ばさまが私に一言「あんな風になったら嫁に行かれへんから」。
ぷち。
「あんなんじゃなくても嫁には行かん!」
この一言で、私もばさまの”敵”になった。
「こんなお茶、人に出すもんじゃない」
確かに薄かったけどさ。「だったら飲むな!」
そんなに酷かったら、気さくなおばちゃん達だもの
「あーら薄いわよお」「若い子(一応)はわかんないのよね」と
入れなおして下さったと思う。私も勉強出来たさ。
傍で見ていて「外に出たらいいのに」と不憫に思われていたらしい。
申し訳ない。
んなこた知らん私は、外で拗ねてた訳だけど(苦笑)
知らない所で「鞄やったのに持たない」とか父に言うてたらしい。
気にするなっておばちゃん達言ってくれたけど、
もうあの人にとっては孫ではないんだ、と思ったら悲しかった。
ボケてなくても聞く耳持たない人だったから。
(随分怪しいけれど、まだ正気部分が残ってるんだ。)


なんかねぇ、今まで悩んでいた事を思い出したさ。
やたら世間体やら外の目を気にする祖母。
長男は跡継ぎだから可愛や、娘は憎し。
親戚には「何とかしてあげて」と娘思いの一面を見せていたが
外にはボロカスに言うており、母自体には虐待紛いの仕打ち。
母は自らの母の仕打ちを恨み、そうならないよう生きてきた。
自分の子には習い事をさせ、やりたいようにさせ。
だけど、それはそれで私には辛かった。
結局「世間体」とやらを気にする人である所は変われなかったから。
愛された実感がなかった。一人っ子なのにさ、あたしは。
そんなもんだと思っていたけど、旧友Aちゃん見て愕然とした。
ああ、心配されつつも、お母さんが信用してくれてるんだ。
私は自ら選んだ人を「本籍教えない」という一点で拒否し
二人で考えに考えた話を聞いてもらえなかった。悔しかった。
でも、仕方の無い事。
「されたようにしか、人にできない」のが既定値だもの。
母の人柄は丸くなった一方、私も若干の諦めを覚えた。
祖母だって、そういう扱いを受けたんだろう。
そう割り切ったけれど、気持ちはもやもやしたまま。
そういう連鎖を止めたかった。でも自分にも無理かもしれん。
だから、結婚せんとこ、子供は産むまい、と思っていた。
(その例外で「この人とやったら子供育てられるかも」と
 思った人が一人いたけど、さよならしちまったもんな。)


その他もろもろまーいろいろ考えて悩んで、てな気持ちで
18歳以降ぐだぐだ生きてた訳だが。
今日、色んなものが壊れた。
本気でばーちゃんに蹴り入れて、首絞めようと思った。
そいで、ふと、じーちゃんの遺影見た。
途端に申し訳なくなった。
おじいちゃん、鬼畜バカ孫でごめんね。
泣けてきた。ずうっと泣いてた。
母ですら「何でそんなに泣くの」と思ったらしい。
そのくらいずうっと泣いてた。
こんな孫なのに。最後までありがとう。ほんまにごめんね。
最期の最期なのに、厭な事考えてしまってごめんね。
あんな人でも、おじいちゃんの奥さんやってんから。
多分、一番気にかけていたのが、ばーちゃんの事だったと思うのに。
そのばーちゃんを、あんなのあたしのばーちゃんじゃない、
どっかでケリ入れてやるってずうっと考えてしまったよ。
それに、ばさまが無理やり帰ってきたとしても、まともに生活出来ない。
出来ないから、出来ないなりに真っ当な人間の暮らしして欲しくて
グループホームに入ったのに、本人も望まないし、
ホームでも騒ぎ起こして、もう居られなくなるかもしれない。
だけど、家では己一人でやっていけないだろう。
じーちゃん放ったらかしかもしれないよ。一人だよ。
(私ら居るけど、ばさまが拒否するなら、何も出来ない。)
ほんと、今後どうしたらいいんだろう。
私がずっとしゃくり上げてたのは、そういう理由でした。


すみません、長々と。
じーちゃんは、みんなの心の中。
わんこは、うちの居候に。
あとはばーちゃんだよ。はぁ。