社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

オリジナリティ

なななななななーい!とはPLASTICSの「COPY」ですが。
今日はオリコン9位記念に(嘘)お師匠に9mmを手土産にお稽古へ。
案の定、面白がりつつも「ここ○○みたい」が沢山出てくる。
その作り方が「デジタル的」とも。
そうかねぇ。。。
ある程度は仕方ないけれども、やっぱり過去のバンド達の先で
演ろうとすると、オリジナリティって出せないものなのかしら。


でも「○○みたい」ばっかり言ってしまうのは面白くない。


などと暴言吐きまくってしまいました。反省。
だけど、過去のバンド達を咀嚼したバンドが出てきて、
さらにそこから影響受けたバンドが出てきていると考えている。
だとしたら、仕方ないお。
それに、認識する時にどうしてもこれまでに聴いてきた音楽と
引き比べてしまって、「○○みたい」と表現してしまうのかな、と
今日は思ったのだ。


例えば、「ポリスの『Englishman in NewYork』みたいな歌を作ろう」
としたとして。
全然別物になるんなら、それはオリジナリティが出てると思う。
でも「ポリスみたい」と捉えてしまうのかしら。
パクったら・・・勿論オリジナルぢゃない。そんなんあきませんよ。


そんな聴き方もありやけど、面白くないやん。
なんてね。


で、話はずれるが弟弟子のヒップホップ作品など聞かせて頂く。
うーむ。ロックではないな。
ここでの「ロック」とは「心を打つ何か」ということね。
綺麗で、かっこいいけど、目指すものは出来てるんだろう。
芸大の方らしいので、そちらで発表されると面白いだろう。
だけど、ありがち?というか、例えばスペシャ一日流してて
ふ、と耳に止まるかというとそういう所が無い。
なんか、もっと外に向けて演りながら変えていったらいいのに、
と思う。
折角作るんだもん。伝わったらいいのに。勿体無い。


てな訳の解らん事考えてみました。


ではそんな大口叩く俺はどうなのかというと。
演りたい事はあります。今好きなロックをピアノ一本でやりたい。
だけど、出てこない。
ここ十年くらいそんな状態です。
芸術が排泄ならば、コーラック欲しいわい。
・・・食事中の方、ごめんなさい<(_ _)>


とすると、プーでも何でも、自分の外に出せてるだけ
偉いんですけどね。
でもどうせならオリジナリティ、という特性はがっちり
持ちたい。
持った音楽を聴きたい。