社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

青春の瞬き or DIE

在宅オタは対象が活動休止・引退してもぐだぐだ後悔零すな、
という、酷い言い方するとこうなっちゃう話を見た。
ついったで話題だった年齢拒否(同担拒否みたいに年上ファン拒否る)も
そうだけど、こういうファンって”今”しかないんだろうな。
今全力を注ぐか、死ぬか。
一瞬を生きてる。

在宅オタ、したくてしてるんじゃない人だって少なくない。
子育て、介護、病気等等などなど。
”今”全力を注ぎたくても注げないままに日々生きて
”大事なお知らせ”という”悲しいお知らせ”を聞かざるを得ない。
「いや、私は一生好きで居続ける」と思っていても
時間が流れたら変わらざるを得なくなる。
こればっかりは自分ではどうしようもない。

あと「現場・ライブに沢山行ってる」「沢山グッズ買ってる」みたいな
目に見えて分かる尺度で”凄く”ないと
自分が注いだ情熱・金・労力が否定される気持ちになっちゃうのかも
しんない。
認められたいんだろうね、好きな対象だけじゃなくて全ての人に。
誰にも負けない愛(という名の情熱etc.)を。
あなたが一番です、って。
幸せだけど煉獄だよなぁ、これ。
際限が無いもの。
主観では”あなた”が”一番”なのに、主観故に確かではなくて。
どうしても誰かの”好き”に言及してしまうんだろうなぁ。
このエントリもそうだ。
他人が貢ごうが全米まで追っかけて常に最前で本人に苦言呈されようが
関係ないんだけども。
でも触れてあーだこーだ零してしまうのは、
そこまで情熱注がないとダメ!それが当たり前!って言われると
自分のスタンス否定されてるみたいで悲しくなるからかもしんない。

一途でも良し、マルチでも良し。
自分は好きなもんだらけにする事で無意識にバランス取ろうとしてるんだが
(たぶんね)
一途な人はうらやましいなぁ、と思う。
その分、バランス取りづらくて消耗も激しいのだろう。

ただ、ぐだぐだ後悔零さないで済むなら苦労は無い・・・とも思う。
どんなに愛を注いでも、ね。
あと情熱注ぎまくりの人も大事だし、ゆるいファンも大事。
「誰が金落としてるんだ!」って人がもし去ってしまっても
その対象は生きていかなきゃなんないもんな。