今日は家人一族のお正月で家人妹家へ。
床暖房の快適さに床の上に転がり込んで寝たい誘惑にかられる。
足裏がぽかぽかするのって、なんて心地よいのだろう。
床暖房こわい!
「音楽が終った後に」(渋谷陽一/ロッキング・オン)読んだ。
そういやあ渋谷さんのエッセイ・コラムって殆ど読んだ事無いなぁと思って。
「bridge」の編集後記くらいかねぇ。
渋谷さんの熱さ・書かずにおれなさがロッキング・オン的文章を
形作っているけれど、今は”熱さ””書かずにおれなさ”抜きで
ただの”様式”としてだけ存在して、後続に受け継がれているような
気がした。
井上さん、山崎さん辺りまでは”書かずにおれなさ”があるか。
音楽評論というのは冷静さを欠いては成立しないけれど
「好き」「紹介したい」という情熱にも似た気持ちが強くないと
「読みたい」と思えるものにはならないのかもしれない。
仰々しく書けばいい、センセーショナルならいいってもんではない。
とはいえ「触発されれば、それ自体を書かなくてもよい」みたいな話は
承服しかねる。
やっぱりやだわ。
それにしても今の音楽シーン・業界、論評について
渋谷さんにはどう見えてるんだろうねぇ。
随分薄っぺらいんだろうけど、渋谷さんも現役でお書きになっている。
「bridge」が出来たのは「ROJ」では渋谷さんが思い描くものが
実現しづらくなったからかな?とも思っていたが
その「bridge」が出なくなって、そちらに出てたっぽいアーティストが
渋谷さんインタビュアーで「ROJ」に載るようになってる。
これってどうなんだろう。
(それは別にええのか)
今、私が信じられるのは、私の精神の歪みであり、頭の中で鳴っている音だけである。
今あるものにノンという音は、重く激しいものでなくてはならない。(P.71)
今でも鳴ってるんだろうか。