社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

愚痴

愚痴について、ずーっと前から考えていた。

生身でもネットでも愚痴ったりネガティブな事を言ったりすると
嫌がられる。
確かに聞いてて楽しいものではない。
でも言いたくなるんだよなぁ。
多かれ少なかれ、表現はどうあれ言わない人なんていないと思う。
誰かに厭な思いさせると分かってても言いたい。
何でだろう。

やっぱり”聞いて”欲しいんである。
愚痴は愚痴で、やっぱり零さないとやっていけないんだろうなぁ。
「嫌い」「むかつく」だってわざわざ言わなくてもいいのかもしれないが
どっかに溜めておく事も出来ないんだろうなぁ。
「好き」「流行ってる」に流されそうになるのがしんどいし
「皆様良いと仰るモノがどうしても良いと思えない」違和感もしんどい。
「私の好みではないかもしれないが〜」と変換掛けたら、どうだ?
でもそんな余裕は無い。
変換掛けても「嫌いって言いたいんでしょう!」と嫌がられるかもしれない。
最近話題のおかんが息子のツイッター監視してる件(→こちら)も
なんで闇アカまで見えてるんだろう?鍵掛けてないの?と思ったが
”誰か”に”聞いて”欲しいんだろうなぁ。
完全に誰にも見えないようにはしてない、知ってる人だと角が立つ。
聞いてくれる人の反応は期待していない、どっかに吐き流せたら
すっきりする。

とはいえ吐き出される方は溜まったもんじゃない。
わかってる。
小生のネガティブ発言については、ひとまず流して頂きたい、
と思っている。
(人様の愚痴もだいたいは流すようにしている、最近は。)
言ってて楽しく無いけど、言わないしんどさの方が上回るから。
申し訳ないが。
愚痴=相談ではないし。
解決法があれば愚痴らなくて済むのでハッピーなのだけど
解決出来るとは限らんもんな。
零すなら”流し易い”愚痴にしたいと思う今日この頃である。