社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

色々考えさせられて疲れた

政治と音楽・芸能って基本的に分かれているべきものだと思う。
分かれているのに、そっと毒・皮肉・批判が込められているからこそ
より伝わるんじゃないかな、と。
(「北風と太陽」みたいな。ちょっと違うか。)
そういう意味で分かれていて欲しいし
あくまでも「楽しみながら考える場」程度であって欲しい。
前からあった会場・企画だとしても、今年は変わってしまいそうだ。

今はもうそんな「そっと込められている主張」を読み取る能力も余裕も
無いのか。
送り手は露骨に「反対!」って言っちゃうし受け手は見出しで
過剰反応しちゃうし。
煽る見出し・恣意的なまとめを作って釣る輩もあるんだってね。

ミュージシャンの政治的意見が嫌いなのは、何でそれをそのまま
言っちゃうの、って事。
そのまま言うにしても、その前に歌詞に込める事は出来なかったのだろうか?
込めた上でインタビューで言えばいいのに。
メディアとやらが尻込みするなら、自分のサイト・ブログ・SNS
言えばいいのに。
作品に込めたの知らないだけかな?と思っていたが、そうでもなさそうだし
音楽情報について比較的積極的にアンテナ張ってる人間が
気付けないのだとしたら、世の中にはもっと伝わってないんじゃない?

考え方ってそんな単純なものじゃないやん。
今の政治に不満はあるけど、じゃあ誰が代わりにもっと良くして
くれるのか。
そこんとこ考えたいけど選択肢が無い。
よくよく考えて「この人の新鮮なパワーに期待」つったら落選して
選挙違反、後々そいつは只のミーハーなおっさんだと判明する。
要らない!とぶった切ったら、後々それは必要でした・・・とか。
どうしたらよいのだろう・・・と考えるけれど、答えは出ない。
出ないけど↑の主張書いてたら忘れた頃に言葉尻”だけ”捉えて
的外れにも程がある批判をする人が出てきそう。
・・・って色々考えて疲れてる所に「反対!」「批判!」「批判の批判!」
「お前ら分かってない!」じゃ疲れるよなぁ。
それも嫌われる一因のように思える。

そうすると「見なきゃいい」「聴かなきゃいい」という話でもあるのだけど
見たくないのに見ざるを得ない、聴きたくないのに聴かざるを得ない世の中なもので。

なんだかなあ。