社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

ブログどかメディアとかそんなような話

きっかけははてなブログの人気エントリに上がっていたこちら。

今年もありがとうございました/2014年の年間ベストについて - 日々の音色とことば

やっぱりくるりの「THE PIER」はいいよね、色んな人の2014年ベストに
挙がってるしーうんうん、等と頷きながら読んでいたが
「個人がメディアになる」というお話にすごくモヤモヤした。
そんな時にこちらの文章を拝読した。

ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠

コミケ”と表現されているのが、妙に腑に落ちた。
シロクマ先生はどちらも”メディア”と表現されているので
解釈がずれてしまうかもしれないのですけれど
柴さんの文章拝読していて、シロクマ先生仰る所の”コミケ”も
”テレビ”と同等になってきてるって言われてる気がして
モヤモヤしたのか、と思ったのだ。
”テレビ”化ではなく、モノとしては別だけど同等っていう。
個人が好きに書くのと、おゼゼ頂いて書かれているものと
同等に扱われるのは、なんだか重苦しい。

世の中にはメディアになってる人となりたい人と
そんなもんになりたくない人と考えもしない人が混在する。
それが面白いんだろうけど、書いてる人の認識と読む人の認識は
必ずしも一致しないからストレスが生まれるんだろうなぁと思う。

個人的には

メディアなんて烏滸がましい、書きたいように書かせろって思ってた。ライターさんがメディアにお書きになるような有り難みのある文章やその模倣じゃない、だからブログは面白いんじゃないか。

と考えている。(これツイートしましたけど。)
勿論、書きたいように〜だけど公序良俗に反しないよう、
なるたけ悪口に終わらないように、と気遣いはしている。
(それでも不評は買うので何とも難しい。。。)
気持ちとしては中学の頃授業中に書いて休み時間に友達に渡していた
手紙を、知らない人に見られてもいいやーってノリで書いてる、
のかな。
書きたい事書いて、それでも面白がって下さる方が
読んでくれはったらいいかなーって思う。
でもそういう気持ちで書いちゃだめな時代なのかもしれない。
ちょっと前からそういうモヤモヤもあって多少は有難そうな事も
書かなきゃいけないのだろうか、と考えたりもしたが
J系のファンの方のブログは全然そんな感じではなくて
知りたいから調べる、調べた事を書く、感じた事を書くっていう
純粋な感じがして、ブログってそれで良かったんだよね、と
再認識した。

あと音楽に関してはメディアになってる/なりたい人の文章って
「ROCKIN' ON JAPAN」や「MUSICA」ぽくなるの、何でだろう。
あの良い意味でも悪い意味でも過剰な感じと言うか、
うまく説明出来ない。
不思議と「音楽と人」ぽくはならないんだよなぁ。
あくまでも個人的な主観ですが。
ただ、それだったら雑誌の方読むわーって気持ちになる。
批評という形の悪口になってるのもたまにあって、
ちょっとどんよりする。
そこまでして書きたいのか?メディア化するなら仕方ないのか?
だったらやっぱりメディアにはなりたくないし、なれない。
なれると思っとるんかいカス、とツッコミ入りそうだけど
最近の風潮だとそういうのと一緒くたにされちゃうんでしょう?