社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

境目

地下街ほっつき歩いてたら子供の激しい泣き声。
手をつなぎたがってる子の手をお母さんが繋ぎ、なんでもないよーって
雰囲気で、穏やかに話し掛けていた。
人混みに不安になってたんかな。
大人には分からない理由で、ちっちゃい子って泣くもんな。
お母さんには分かってるんだろうけど。

その光景見てて思い出したのが、先日の新聞の投稿。
どっかのおばちゃんが街中で児童虐待に早急な対策を!
今の親には母性・父性が欠落している!と訴え
実際に遭遇した例を挙げていた。
街中で幼児に怒声を浴びせる親がいて、投稿者は泣きながら
「やめてあげて!」と、その子供を抱きしめたんだそうだ。
知らない人に抱きしめられて泣かれて、
その子はびっくりしなかったんかねぇ、と真っ先に思った。
落ち着いたんだったらいいけどな。
何があったか事情は分からない、投稿者は見ていて分かったのかも
しれない。
ただ、虐待が疑われるすれすれの現象がこうやって”虐待”と
言われる現象になっていくのかも、と思った。
すれすれだったのが、その投稿者が”虐待”と言う事で
正式に”虐待”になってしまったのでは?というのが一つ。
もう一つは実はお母さんは精神的にギリギリの状態で
投稿者の「やめてあげて!」という泣きで一層追い詰められたと
したら、本当に”虐待”してしまうかもしれない。

その投稿見て、ネットで見たお母さんの話を思い出した。
どんなにお母さんが叱ってもなだめても子供が飛び出してしまって
お母さんと並んで歩いてくれない、と悩んでいる話が
ネットに書かれていた。
書かれた情報だけで判断した人の色んな意見が出ていたが、
書き込んだ人のレスが必死で、見ていて辛くなった。
言い訳するというより、それぞれの意見にあるような手は尽くしたが
それでも子供が暴れてしまう、という印象だった。
それを見て書き込んだ人を労わるレスもあった。
子供が泣き喚くのもそれを親が怒鳴りつけるのは見ていていい気分じゃ
ないけど、どうなんだろう。
”虐待”かどうかの境目って難しいと思うのだが
親やってた人なら、だいたい分かるの?
如何にも虐待してそうな感じだったんだろうか。
そういうのも見ただけでは分からないよねぇ。
人生の、親のベテランさんなのであれば、子供だけじゃなくて
お母さんも包み込んであげて欲しかった、と
その投稿を読み直して考えた。
投稿には書かれてないだけで、お母さんのフォローもしてはるん
やったらいいのに。
(文章の構造的に最初に結論言って後は書きっぱな、で
 そこのところが分かりづらく、尚更もやもやしている。)

いやさ、自分は親やってないよ。
ただ、いつか子供を持ったとして、その時にどうなんだろう?
子供が泣きわめいて暴れた時、大人しくさせられるんだろうか。
少なくとも子供の事で悩んでいっぱいいっぱいの時に
知らない人に「やめてあげて!」って泣かれたら
自分が責められてる気分になって精神的に参っちゃうよな・・・
と思って。