社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

ゆめとうつつとまぼろしと

いつまでもバンドがあるか分からないから無理してでも観とけなんて
腐るほど聞かされておりますが
無理が出来れば苦労も悩みもございません。
そこで苦労したり悩んだりする人は、ライブで観る良さ・面白さが
分かってる人が多いんじゃないかね。
だからいちいち言われるといちいち反応するんだよな。小生みたいに。
(そもそもミッシェルやナンバーガールを生で観られなかった後悔のお蔭で
 今ライブ観に行くよーになってんだよな。
 それでも2009年の後悔を引きずって生きている訳で。)
そしてその言葉は所謂「0円ファン」とやらに向けられてるんだと思うが
0円ファンには通じないんじゃないかなー。

さて本題。
百々さんの「ゆめとうつつとまぼろしと」聴いております。
途中までしか聴いてない時にラジオで「デボラ」が流れて気づかずうああああ、
でしたが、後で「デボラ」聴いたらそりゃ気づかんかもなー、と思った。
なんとなく。
「さよならの向う側」は歌だけ知ってて「あーこの歌だったのかー」と
しみじみした。
エレキ1本の弾き語りってかっこええなぁ。
「なんだか愉快なぼくたちは」「お酒にまつわるエトセトラ」が面白かった。
向井さん参加の「ともをまつ」も。
(この曲にまつわるエトセトラが非常によい話なのでオフィHPで見てみて下さい。)

「窓」の時はタイミングがタイミングだった所為もあってシリアスさが強かったけど
「ゆめと〜」はなぁんとなくほのぼのしているような。
どの歌も歌詞そのまんまーなようでいて、音や行の合間から哀愁だのおかしみだの
トホホだの酒の匂いだのが漂っている。
ビール飲めないのに帰りに買って帰っちゃおうかしらん、つまみ的なものは
棚のどっかにあった筈。まだ食えるかは知らん。
夢や幻想だけじゃない、現実だけじゃない。そりゃそーか。
そりゃそーか、なアルバムであります。