社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

単位取れへんでこれじゃ

昨年末、買い物に行く時にポスト覗いたら何か届いていて「懸賞当たったー!」と
ウキウキして帰りに確認したら恩師の本だった。
いつもありがとうございます。
はまぞうドーン!↓これ

どうしてこの国は「無言社会」となったのか (vita)

どうしてこの国は「無言社会」となったのか (vita)

やっと読めたので。
読んで先ず思ったのは
先生、ストレス溜まってはるんですね・・・
確かに人間が喋らない割に機械はよく喋りますが。
ATMで「現金をお取りください」と言われて「はいはい分かってます
財布にカードを仕舞うのも待ってくれないんですかそうですか」
と言い訳しそうになる。
ただ、例えば後の人の為に戸を押さえて通れるようにしたとして、
先生が仰るように無言で通られてしまう事って、案外少ないような気がする。
「すみません」位は言われる事の方が多いような。
エスカレーター、関西は左側を通れるよう開けておりますが
子供が左側に居たら「後ろから人来るで」と開けさせて「すみません」と仰る
親御さんは多い。
恐縮しちゃうよ・・・親御さんにも子供ちゃんにも「ありがとう」を
目いっぱい言う。
お礼期待してないし、言われないのが当たり前だという低次元な認識だからか。
しかし何を以て「無言で通って行く」と始まっているのだろう。
先生ご自身の体験とネットの話が例で挙がっているけれど、
実際どうなんだろう。
ここ、卒論だとしたら真っ先に先生がツッコミはるとこだと思う。

不肖の元学生がそんな野暮言うのも何なので、何で”無言社会”に
なっちゃったんだろう?と考えてみた。
よく喋る機械は、機械の無機質さを緩和するため、とか。
喋るATMはうっかりさん対策。
戸を押さえたりエレベーターの「開」ボタンを押しっぱなしにしても
何も言われないのは相手が普通の人の顔をしたキ○ガイかもしれないから。
妙な事で怒り出す人、良かれと思ってした行為に噛み付く人は、
家庭板・生活板・育児板系まとめブログを見てたら定番の話であります。
(ネットで見た話を例に挙げてよいなら、まとめブログもありだろう。)
それこそ子供さんが通れるようにね、と戸を押さえていたら「ウチの子が
開けたがっているのに!」と怒るママとか居そう。

大仰に考えなくても、自分が親切にしてもらった時に「ありがとう」を言う癖を
つけたらいいのかなー、
その事を再確認するきっかけに、この本を読んだらいいと思う。
親しい人が「ありがとう」と言える人だったら、自分も真似してみよう、
って”無言”じゃなくなる人もいるだろうし。
・・・というのがこの本で言うところの「仕合わせ」の機会を増やす、
「仕合わせる」に繋がってくるのだろうか。

さて問題はこれをどうやって感想文として纏めるべきか。
取り急ぎメールでも、と思ったがメルアドが不明で、
年賀状がまだ1日に間に合うかも?な時期だったが先生は喪中で出せず。
お礼かたがた感想文送ろうかと思っているのだが、書けるだろうか。。。
うう。