社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

久しぶりに「MARQUEE」を読む。
ビークル解散してDVD出て兄ィ達がコメント寄せてはるらしいので
チェックしに行ってナンパ的な事されて以来だ。多分。
よく行く本屋に置いてないんだ。。。
フジのインタビュー、楽曲制作の話だったり高山さんの話があったり
「MUSIC」以降の話も結構あってためになった。
「悲しまなくてもいい」の一節の謎が解けてよかった。
寝転んでいる所に一面銀盤、って撮影大変そうだなー。
久しぶりにアーティストの人って大変!って思った。
(尚、銀盤プレゼントは見事に外れました。まあいいけど。)

他にも面白そうなアーティストが、と思って読んでいるのですが
最近は匿名性、というか顔を出さないアーティスト多いような気がした。
数としては変わらないのかな?
amazarashiとか。
音楽だけを純粋に聴いて、感じて欲しい、という事だろうか。
andropがそうなんでしたっけ。
顔だけじゃなく名前も出さないけれど、「GiGS」の奏法説明をされてて
いい人達だなー、と思っていた。
相対性理論の人もあんまり出ないよね、と思ったが
やくしまるさんはちょいちょい写真出てたりしますね。
メールでインタビューしてたけど、はぐらかしているようで
ちゃんと答えてはって、面白いなー、と思って読んでた。

面白いなぁ、と思うけれど、ちょっともぞもぞする。
たまたま顔出しする機会が無いとか、音楽は発信するけれど
それ以外は表に出たくない・・・という事なのかもしれないけれど
戦略的あざとさを感じてしまう人もあったりする。
隠しておいて、ちょっとずつ出す、その出し方が策略的というか。
「これはこんな曲です」ってインタビューで懇切丁寧に説明するのも
なんか違うなぁ、それは歌で伝える事なのでは?とは思うのだけれど。
ライブ観たらご本人がどんな人か分かるんでしょうけども
聴く人がライブに行けるとは限らないし。
チケット取れなかったり、事情があって物理的に行けんかったりする。
歌だけ楽しんだらいいとは思いつつ、その歌を作って歌う人達の
人となりも知りたいなーなんて考えてしまうのはダメなんだろうか。
普通に出て、普通に喋って、音楽演って・・・でいいじゃん、って思う。