社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

変わるし

なんとなく、うすぼんやりと。

久し振りにここ暫く(といっても1年以上になるか?)疎遠になっていた友人*1
生存確認が取れた。生きてて、元気そうで良かった。
話を聞いて、すごく寂しくなったのだけど。
色々思い切りはったんは偉い、と思うけれど
これまでの自分を責めたり無駄だ成長が無かったと思ったりしなくて
いいと思うのだ。
無為なようで、全然そんな事はないのだ。
声掛けようと思ったけれど、疎遠になった理由が共通の友人諸共
傷つけるような事を私がしてしまったからで、
今何か言葉を掛けて、また厭な思いをさせてしまわないだろうか、
と思い悩んでいる。

あと、此処に色々書いてる話で、直接友人達には関連しないけれど
もしかしたら厭な思いさせてしまった話も多々あるかも・・・とも考えている。
ぶっちゃけ、ここ数年愚痴り倒しているのは怒の方の話で
バの字とは関係ない。
直近でバの字絡みもあったけれど、名前をSNS等で見かけた位の人で
友人達の事では全くないし、友人の友人レベルか?という人も
今は繋がりを切っている。

とはいえ、「こんな事考えてる人だからきっと自分の事も・・・」と
思われても仕方ないのか。
書いてる時はすっぱり頭から抜けてるか「友達だったらこんな風には思わないのに
それ以外だとアレなのは何でだろう?」とぐるぐる考えているかのどちらかで
正直、矛盾しているのかもしれないと思いながら書いていた。
でも明示はしてないから伝わらないね。

朝方からぐるぐる考えている。
友人が音楽を通じて出会った人や物の中には酷い奴もあったかもしれないけれど、
きちんとした人もあった筈だし、少なくともその事実は無駄なようで無駄ではなかった、
上手く表現出来ないけれど、そんな風に考えている。

変わるもんは変わるし。
興味のあるものも好きなものも増えたり減ったりするし
そうすると今迄好きだったものとの関わり方も変わるし。
数年間ライブ行こうが行くまいが好きで自分がファンだと思うならファンだし。
逆に沢山行ったからファンとしてエラい訳でもないし。
(労力はすごいと思いますが。)

色々心に溜めておくのもしんどかったので、此処に書いた次第。

*1:とまだ呼ばせて貰えるか分からない