社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

あれから16年〜枝〜

阪神・淡路大震災から16年。
毎年多かれ少なかれそうなんだけど、5:46という時間が怖かった。
また何かあるんじゃないか・・・と。
卵焼きを焼きながらその時間を待つ。
何事もなく、TVは東遊園地で手を合わせ黙祷する人と
点されるろうそくの明かりを映していた。
・・・と思ったら映画の宣伝かい!
ちーと早すぎやしないかい。


地元新聞で震災から16年経った今の心のケアについての話が
出ていた。
今日紹介しようと思ったが、ちょっとまとめきれないので
出来たら後日。
読んでいて思ったのは「忘れる/忘れない」という事。
忘れるな、と言われても忘れたくても絶対忘れない日だ、
震災に関わった人は全て。
ついった見てても被災した方、いてもたってもいられずに
被災地にボランティアに来て下さった方の言葉があって、
今日もお昼ご飯食べながら震災の時の話をしていたら
阪神・淡路以外の所にいらっしゃって当時こんなんだったわ、
という話があって。。。
関わった人は忘れない。
いつか忘れる日が来るのかもしれない・・・なんて事は無いと思う。
「忘れるな」は被災地に向けるのではなくて、被災地からそれ以外の
ところに向けて告げられるべき・・・という話が
その新聞記事にあったのですが、小生もそう思う。
1月17日という日に、当時の事を思い出すもよし、
災害があった時について振り返って考えるもよし、
そういう話をするきっかけになればよいのに、と思った。
阪神・淡路大震災の教訓が、他の災害復興に生かされているという
話も聞いて、それは救いだと思った。
ボランティアもそうだよね。


そういえば、ソウルフラワーユニオンのメンバーが各地を回って
歌を届けておられたという。
その中で、病気で寝たきりだった人が彼らの歌う沖縄民謡で
元気になれた、というような話を聞いた。
(えーらく平たくまとめてしまってるので詳細はググって頂きたい。)
回っておられたのは知っていたけれど、文字通り力を貰った人の
話というのは今年初めて知った。
16年経っても、色々な震災に纏わる話をするのは良い事なんだな。
話す、という行為も、話す人にとって大事な事だろうと思うし。
それは被災地にいた人もだし、当時現地に居なかった人も。
話して、聞いて、忘れられない事を少しずつ整理していけたら。
そう思う。


以上、今年の1月17日とその少し前に思った事でした。