社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

8月6日

今日も暑くて、足元がじりじり焼かれるように痛い。
でも、65年前の広島に比べたら屁のつっぱりにもならん。
友達の話を聞くに過去の事ではないのだと思うし
今年は国連総長やらアメリカの大使やらが式典に出席するからか
メディアでの取り上げも多いように思う。


TVではアメリカでの反応も取り上げていた。
エノラ・ゲイか何かに乗ってた人の子供が「戦争を止める為に必要。
謝罪する事ではない」と言っていたそうだが、
恐らくそう考えないとやってらんないんだろう。
自分の親が核で大量に人を殺したんだから。
確かに戦争で沢山の人が殺し、殺されてきたし
(そして亡くなった命に軽重は無いのは重々承知)
”何か”があって止めなければならなかったろう。
だけど、そういう殺し合いとは別の、世界初の核による大量殺人団
だよな。上の命令とはいえ。
それは揺るぎない事実で。
ほんでコメントしてるのはその子供。
未だに戦争の時の夢を見て魘される人もいるんだ、
ましてそんな大量殺人やった人が正気でいられる訳もなかろう。
「自分のやった事は正当だったんだ」と思い込もうとしないと
「親父のやった事は正当だったんだ」と思い込もうとしないと
精神保ってらんないんだろうな。
全然違うのだけど。
私がそう思わずにいられなかった。
そう考えないとやりきれない。
広島の資料館には行った事が無いが、長崎では修学旅行で行って、見た。
どちらでもよい、見て来い。
見て来て、それでも心の底から「謝罪する事ではない」と言うのなら
仕方がない。ほんとのき○がいだ。
文化の違いとか考え方の違いとかそんなものではなく。おかしいよ。


そんな事を考える8月6日であります。