社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

いただきます

友人の日記にコメントしようとして色々考えていて書き損ねたので
こっちに書く。


どういう話だったかというと、家族の作られた料理を食べている最中
別の家族が「わたし○○食べたい」と全く違う料理の話をし
さらに別の家族が「じゃあ夜○○食べに行こう」と言った、という話。
その料理というのは、作った人会心の出来だったそうだ。
(小生が食べたいくらいだったよ。。。)
此処だけ書き抜くと大した話じゃなさそうなのですが、
「いただきます」「ごちそうさま」が言えない、普段でも色々タイミングが
残念な人らしい。


仮に家でそういう習慣が無かったとしても、学校でやらないんだろうか。
先日、お弁当食べる時に箸持って手ぇ合わせて「いただきまーす!」と
やったら社員さんに微笑まれてしまったけれど。
子供さん思い出しはったんかな。
此れが癖になったのは何時だろ・・・と思ったら軽音の合宿で
「箸持たば思い起こせや親の恩 己が一人で食うと思うな」と唱和してから
食べる、という事をやっていたからかな、と思う。
毎年「いただきます」「ごちそうさま」はやっていたけれど
この言葉が出てきたのは、1つ上の代の幹部さんだったと思う。
うちの代では「箸持っても思い起こすな親の恩」つうのもありましたが
此れ笑えるのは普段出来てるから、な訳で。
案外、後天的に刷り込まれて身につけられるもんなのかもしれません。
テーブルマナーなんて、大抵そうだよねえ。
生まれつき身についてる人より、後でご馳走食べる時に知ったり
「恥ずかしくないマナー」読んで知ったりする人が多いと思う。
ブルデューだっけな、昔々上流階級は何を食べるか心配しなくてよくなったので
”どうやって”食べるかを考えるようになってテーブルマナーが出来たが
時代が移ってテーブルマナーを知ってる=上流、となった、つう話もあるし。
其処まで堅ッ苦しくなくていいけど、同席する人を不快にさせない
”ふるまい”は考えないと、だね。
とすると、家以外でも幾らでも覚える機会はある。
料理出した店員さんに「ありがとう」って言うのは友達がやってて
気持ちよかったから、時々言うようになった。
その友達は「自分が言われて嬉しかったから」言うのだそうだ。
「やれ」「しなさい」と言われて身につけるより、余程自然に身につくと思う。


まァ、其の事にすら気づかない、感覚が鈍ってる人だったら
仕方ないんでしょうなァ。
そういう人って、他所で苦労しないのかな。
こんなのひっどーいプンスカ!で終わっちゃうのかも。
或る意味不幸な人であります。


そのタイミングが残念な人が又聞きの他人だから
ご家族も大変だな・・・と精神衛生を案じつつ
秘かに「こういうの投下するとしたら家庭板?生活板?」と思う
稲沢なのであった。だめだこいつ。
(私信:すごいよーこの辺。当たり前にこのテの人報告されてるもん。)