社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

どこまでがんばったら、みとめられるのだろう

はてなハイクの「名言っぽいこと言ってみようぜ」で

・死ぬ気で頑張ったからって、その頑張りを認められるとは限らない。
・「認められた人は必ず頑張っている。」は真だがその逆は真ではない。
 と思う。


と書いた。
その後お風呂で色々考えていて、同じ言動でも
「頑張る」の基準と誰が「認める」のか、で違ってくるな、と思った。
昔の事、思い出したんだ。


仕事頑張っても、会社としての評価は低かった。
「プロジェクトやり遂げたら・・・」やり遂げた位じゃ評価は上がらない。
そりゃそうだ。
上司が頑張りを認めてくれているのが解ったから、まぁいいかと思っていた。


けど、それにも限界が来た。
先の大きなプロジェクト、とか過去に書いてたやつ。
他の先達に追いつけるよう、頑張った。
上司はそれなりに「頑張り」を認めてくれてたんだろうけど、
結果に繋がらなかったので意味が無かった。
繋がらなかったのは自分の頑張りが足りなかったんだと思うし
他の要因もあったんだと思う。今は。
そのうち、お客さんからしたら「頑張ってる」状態が当たり前になった。
そりゃそうだ。
だけど「頑張っても頑張っても”お客さんには”認められずあーだこーだ
好き放題言われ、コンサルにはご自身の不備を押し付けられ貶められる状態」
が続いたらどうなるか。
(当時の記憶は殆ど飛んでしまっているが、こういう事だけは今でも残っている。)
認めてくれてた上司もいっぱいいっぱいで。
お互いに相談する余裕も無かった。
何処まで頑張ったら、認められるんだろう?誰に?
私は必死こいて頑張ってるんですが、まだ頑張りが足りないのかも。
そもそも頑張ってるうちに入らないんだよ、こんなの。
そんなのが続いて御覧。
本番スタートが何度も伸びて御覧。
やる事・要望ばっかり増えて御覧。
チャチに出来てる私、壊れました。
死にたい、だけじゃなかった。
血の海出来たら楽しいよねーって言ってた記憶がある。
今でも、あん時死んどきゃよかったかん?と思ったりする。


これじゃ只のルサンチマンというやつじゃろな。
(こないだの派遣登録ン時の遣り取りで思い出してしまったよ。)
この時に「頑張っても認められない、報われない」という事を覚えた。
私にとっては、死ぬ気で頑張った。文字通り(笑)
だけど当時は認められなかった。
頑張る、認めるの軸を何処に置くか。
もし軸の位置によっては頑張ったのが認められた、と思えたかもしれない。
でも知覚出来なかったので意味無かったんかなーと思う。
寧ろ自分が「頑張った」と思っているだけでは、だめなんだと思った。
結局立ち直れなくて、システムの仕事辞めた訳だが。


ついでに思ったのだが、あからさまに「頑張る」を見せまくるのと
ひっそり「頑張る」のとは違うよなー。
「認める」立場は、その辺どうなのか、とか「頑張る」内容の質と報告を
見極めなあかんのやね。