社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

やさしいはちょっとつめたくて、むずかしい

この世の中難しい事だらけだけど、やさしい、は難しい。
自分が「やさしい」と思う事が、人に「やさしい」とは限らない。
親切の心算で声を掛けたら怒られるし。(まだ根に持つかよ。)
誰かが転んで、「大丈夫ですか」と声をかけるのも「やさしさ」なら
「助けたいけれど、人を待たせてしまってどうしようもない」とか
「大丈夫そうだし、恥ずかしいと思ってるかもしれないから
そっとしておこう」と声をかけないのも「やさしさ」かもしれない。
一応はね。
一番最後のは、肯定はしませんが。


友達のお母さんが亡くなった時のこと。
友達とお母さんの二人暮らしだったのが、一人きりになってしまって
時間が経っても友達は辛かったらしい。
10年くらい、付き合いの無かった私を呼ぶ位だから。
話聞くしか出来ないけど、一瞬でも辛い思い忘れられるなら、と会った。
ただ、私も急に呼ばれて行ったし、ずっと一緒に居る訳にはいかないので
夜半に帰宅。
その後、もっと辛くなって、別の友達の所に駆け込んだそうだ。
翌日も他愛も無い話をしたけれど、全然知らないゲームの話で
ほんとに「聞く」しか出来なかった。
なまじっか「そうなんだー」と相槌打ってたし。
もしかして「いい人」のフリした冷たい奴だったかも。
物凄く残酷な事したかも。
今でも「やさしかった」のかどうなのか、気懸り。


結局、中途半端なのがよろしくないのだろう、と思う。
件の友達の件、当時は自分も神経やっちゃってかつかつの頃だったので
「自分自身を支えきれないのに人まで支えられるの」と怒られた。
そう怒ってくれた人は、あたしを怒れるだけ、余裕があったのかな。
人に「つめたく」なく、そこそこ「やさしく」出来る位には強くなりたい。