社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

リアルということ

こないだ某宗教?団体教祖の死刑確定について報道されていて
そのニュースを見ながら、「結局この人はオノレのリアルの
中で生きていて、結局他の人も含めた世間一般が振り回されて
しまったんやな」と思いました。


その時に思った事・・・リアルにも二つあるんでないかと。
1)世間一般のリアル
 社会学チックに「物理的リアル」とでも名づけましょうか。
 実際に現実社会で起こっている出来事などなど。
2)上記オノレのリアル
 「物理的」に対応させて「論理的リアル」としましょうか。
 それぞれの人が「リアル」と思う事。
 仮想的リアルの方が的確かもしれません。
大抵は物理的リアルと論理的リアルはだいたい当て嵌まるの
ですが、完全に一致しないし、全く違う事もあります。


例えば、稲沢が今日寝込むきっかけとなったかもしれない
「マツ結婚?」で考えると
 物理的リアル:「結婚してるらしい」という話が既に周知の
        事実として語られている。
 論理的リアル:公式にコメントが出た訳ではないし、その他
        理由により、結婚してるというのは事実とは
        考えづらい。
・・・ね。一致しない。
論理的リアルは、個々人の考え方・思い・物の見方に
かなり影響されるとも言えます。
だから、ニュースを見ていて「信じられない!」と思うのは
物理的リアルと論理的リアルがずれる時なのかもしれません。


で。
”彼”は論理的リアルの中で暮らしていたんだろう。
だけど、取り巻き(敢えてこう言います)は各々の
「論理的リアル」を通じて物理的リアルの中で暮らしていた
わけで、”彼”は論理的リアル内で色々動いていたけれど
取り巻きを通じて物理的リアルに作用して、
最終的に沢山の人が亡くなったり、後遺症に苦しんだり
家族を奪われたりした・・・と考えた。
そう考えても、何だか割り切れないのですけれど
もう「物理的リアル」に相当する現実社会で、理由を問う事は
難しいんだろうなぁ。
問う事が出来たとしても、きっと理解できない。


因みに、自分の論理的リアルを物理的リアルに押し込んで
行動しようとしたのがホリエモン&村上。
と考えるのはどうだ。