社会学的ラブソングアーカイブ

はてなダイアリー終了に伴う「社会学的ラブソング」アーカイブ。

生きる才能。

真白さん(いつもありがとう)のブログで杉山登志さんの
半生を描いたドラマの話をされていますが、他の方の
書き込みも含め、凄く「生きる」こと「死ぬ」ことに
ついて、考えさせられたです。
勝手にURL貼っちゃったので、詳しくはそちらをご覧
ください。


なんか、「生きてく」というのは、「どれだけ他者を
意識できるか?」なんだろう。うん。
死にてぇと思いつつも、そこで自分の事を思ってくれる人でも
大事な人でも、「誰か」を思い出せたら、思いとどまれると
思うのです。
一方で思い出せないまま、死に向かってしまう人もある。


稲沢の友達の話。
相当の鬱でその日は朝から体調が悪かったそうです。
本人は救急車を呼んで欲しいと言うくらい。
でもご両親は「我が侭言わないで。」と叱ったそうです。
そのまま家を飛び出して、近所の団地から落下しました。
あたしが数年ぶりに再会したのは、本人のお通夜でした。


その前の年にも色々あったので、残された人の辛さは
厭というほど見てきた筈。
大事な人や、自分を思ってくれる人も居たし、存在を
気づいていた筈。
でも、トリガーが掛かった時、普段の精神状態ではなく
彼らを思い出せなかったんだろうと思う。
己を止められなかったんだろう。
その存在に気づいた時には、既に落下していたのかも
しれません。


だから、当時は「何でだよ」と怒ったりもしたのですが
一概に「自分勝手」「最悪」とは思えないのです。
勿論、良くないよ。だめです。
死んだらいかんよ。


で、ブログ・書き込みを見ていて「イキルサイノウ」の時の
栄純のコメントを思い出したのです。
手元の「銀河遊牧史」より、抜粋。


> 生きるのにも一種の才能がなきゃ、やっぱ生きていけねぇん
> じゃないかと。


生きる才能ですか。
雑誌のインタビューでも読んだ事があり「面白い事言う人やな」
と印象に残っていたのです。
確かにそうかもしれん。
生きる才能の一つが、もしかすると「自分を生かしてくれる人に
気づいて、想う事が出来て、自分同様に大切にできる力」
なのかも。


その力、あたしはまだまだやね。
万一の時に、どれだけ思い出せるかな。